平成26年1月16日(木),
大船渡市副市長の角田 陽介氏,岐阜国道事務所所長の石井 克尚氏をお迎えして,学科内フォーラム「岩手見聞録」を開催しました。
大船渡市・角田副市長
岐阜国道事務所・石井所長
元復興庁岩手復興局参事官
岐阜大学・高木先生
岐阜大学・出村先生
学生・川口 直秀
学生・高木 瑛理子
学生・長谷川 真穂
学生・蓮池 里菜(司会)
学生・森 亮太(会場設営)
このフォーラムは,岐阜大学の教員・学生の有志が石井氏のご協力のもと,2013年度に被災地を視察して感じたことを話し,これからの被災地復興のありかたについて議論する目的で開かれました。教員と学生が協同で企画・運営をし,社会基盤工学科を中心に約130名の学生が参加しました。
まず初めは,角田副市長による基調講演です。
角田氏は以前,国交省でまちづくりに関する仕事を担当されており,震災1年後の平成24年4月から,すでに策定された復興計画を実行に移すため大船渡の副市長をされています。角田氏には,被災地でいま何が問題になっているか,どのような課題・困難があり,それをどう乗り越えてきたかお話いただきました。
被災地では,数百年に一度起こる発生頻度の低い津波に対しては。浸水を想定したまちづくりが行われています。80㎝近い地盤沈下が発生した大船渡では,災害危険区域を設定するのは調整が難しいとのことでした。また,隣の大槌町では地権者の合意が得づらい等の理由で用地買収が難航しているのですが,大船渡ではそういった買収の難しい土地を避けることで,早期の宅地整備を実現できたそうです。他にも,被災前からあった少子高齢化・商店街の衰退などの課題を解決しながら復興を進めないといけないといった話がありました。震災から2年以上経った今では,良かれと思って被災地へ送られてくる支援物資が,自立しようとしている商業者の営業の妨げになっているという事実には衝撃を受けました。支援をするのであれば,被災地に何が求められているのかを見極めなければならないと感じました。
復興に携わって来られた経験を踏まえた貴重なお話,ありがとうございました。岐阜にいては分からない被災地の実態に,土木を専攻している学生たちも聴き入っていました。
基調講演のあと,パネルディスカッションを行いました。社会基盤工学科の高木先生にコーディネーターをしていただき,視察に参加した学生・教員が振り返りの発表をしていきました。
川口:私たち学生は,9月の中旬・下旬の二回に分けて岩手宮城の沿岸部を視察しました。
被災地に行く前に疑問に思っていたことは,「明治昭和の津波の教訓があったにも関わらず,何故大勢の人々が亡くなったのか」ということでした。被災地で話を聞く中で,防潮堤に守ってもらえるという安心感が,避難活動の障害になっていたことを知りました。ふと自分の日常生活を思い返し,自分自身も,今住んでいる場所が安全と思い込んでいるのではないかと思いました。
これから生きていく上で,自分が自然災害に遭遇するかもしれない当事者であるという意識を,常に持っておかなければならないと考えるようになりました。
高木瑛理子:
9月に東日本大震災の被災地に行ってきました。そこで,がれき処理工場,仮設住宅,公営住宅の建設予定地を見学してきました。その他にも,津波の被害を受けた防潮堤,これからの建設予定図など,私たちの関わって行く土木の仕事の現場を間近でみることができました。しかし,建設物だけでは災害から守ることはできないという話を聞き,防災教育も大切であり,土木の仕事に加えて住民が災害を理解していくことで安全なまちが作られて行くと感じました。
長谷川:今回は岩手県田野畑村についての発表です。
田野畑は隆起式のリアス式海岸が美しい地域にありました。震災前から少子高齢化,人口縮小が始まっている過疎地域です。視察では,山を切り崩した高台移転予定地を見てきました。田野畑村の高台移転は,震災後比較的早くから準備が進められ,被災地でも復旧・復興が早い地域と言われているそうです。しかし,視察先の移転予定地は周囲を森に囲まれた丘の上にあり,普段の生活を考えると車でなければ海と丘を行き来できないほど高い場所にありました。今後長らく残るものなのですから,時間がかかったとしても,整備後の住民の生活まで考え,住みやすく働きやすい場所を選ぶべきだったのではないでしょうか。
私は,復興の定義は「帰る場所を早く作る」事ではなく,「住む事ができかつ働く場所をつくる」こと,すなわち「その場所を生活が営める状態にする」ことだと思います。
出村先生:2013年8月1日,2日に陸前高田から田野畑村を巡りました。
大災害の爪痕はさることながら,陸前高田などの防災集団移転のために,市街地周囲の山々を切り崩してしまうことが,一種のパニック状態の中で「冷静に」行われていることに衝撃を覚えました。急激に変動する被災地の社会状況の中で,既に遅れをとっている住宅供給が,突如死に物狂いで動き始めたように見えました。人の住処として,仮設住宅のあり方は,ずいぶん進歩していることを確認し,仮設住宅を短期で仕舞わなければいけないと思い込まずに,もう少し長期的な視点で仮設を対策(東南海大地震などに備えて)することで,今までの歴史の経緯の延長に新しい住処のあり方をじっくり考慮する余裕はできないだろうか,などと考えてしまいました。
さらには,都市計画のあり方も,そろそろ考え直さなくてはならないと痛切に感じました。ビジョンを描いてそれにむけて事業を進めていくという基本形は,多大な努力を要しながら必死に進められていますが,人の活動(交易とか飲食とか)が生まれる装置を先にサポートして(実際にはそうなっている),そこから発想するまちづくりへシフトすべきではないか。なにがなんでも今まで通りの定住処を優先する必要に,疑問を感じて,今後の在り方を真剣に考えていかねばならないと,深く感じました。
パネリストからの発表が終わった後,高木先生のコーディネートのもと角田副市長,石井所長のお二方がコメントするという形式でディスカッションをしました。お二方には発表者が視察で疑問に感じたことへの回答,発表内容への補足説明をしていただきました。
石井所長が冗談まじりに国交省を褒めるコメントをすると,会場には笑いが起こっていました。それと併せて縦割り行政の問題点を指摘されていたので,まじめな話題だったのですが面白く聴くことができました。石井所長にパネル発表をしていただく時間が無かったことが悔やまれます。
ディスカッションが大変盛り上がったため時間が押しており,フォーラムの続きは懇談会へと持ち越しとなりました。写真はありませんが,和やかな雰囲気でゲストの方々とお話しすることができました。
被災地の現場を知る方のもとで視察のことを振り返る,大変学びの多いフォーラムでした。今後も機会をつくって三陸へ行き,被災地の動向を見て行きたいと思います。
社会基盤工学科/川口